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フランク・イエロとは?My Chemical Romanceを支えたギタリストの全貌

By Sebastian Wright

ロック界にはときに、表舞台に立つより裏側で支えることに喜びを見出すアーティストがいる。しかしフランク・イエロ(Frank Iero)は、そのどちらでもある。バンドのリズムギタリストとして轟音を刻みながら、ソロアーティストとして自らの内面を音楽にぶつける。その存在感はニュージャージーのパンクシーンから始まり、世界規模のアリーナへと広がった。

フランク・イエロ My Chemical Romanceのギタリスト

フランク・イエロとは何者か

フランク・アンソニー・イエロ・ジュニア(Frank Anthony Iero Jr.)は1981年10月31日生まれのアメリカ人ミュージシャン、シンガー、ソングライター、レコードプロデューサーであり、ロックバンド「My Chemical Romance」のリズムギタリスト兼バックボーカルとして広く知られている。名前の発音は「EYE-EAR-OH」。ハロウィン生まれというその事実が、彼のアーティストとしての個性を象徴しているかのようだ。

彼はソロプロジェクト「Frank Iero and the Future Violents」(旧称:frnkiero andthe cellabration、Frank Iero and the Patience)を持つマルチファセットなアーティストでもある。またポストハードコアバンド「Leathermouth」ではリードボーカルを務めた。一言でまとめるなら、彼はロックのあらゆる側面を生きてきた人間だ。

ニュージャージー生まれ、病気と音楽の幼少期

イエロはニュージャージー州ベルビルで1981年10月31日に生まれた。子供の頃は気管支炎や耳の感染症を繰り返し、入院がちな幼少期を過ごした。クイーン・オブ・ピース高校に通い、後にラトガース大学に奨学金で進学し、心理学を専攻したが、My Chemical Romanceとのツアーに参加するため退学した。

頻繁に体調を崩し、気管支炎や耳の感染症を繰り返したほか、エプスタイン・バーウイルスを発症し、その単核球症に似た症状は成人後も彼を苦しめた。それでも音楽への情熱は消えなかった。両親が早くに別れ、母親のもとで育った彼は、母親がバンド練習のために地下室を提供してくれたという。父親と祖父もミュージシャンであり、その影響を受けて最初はドラムに挑戦したが、やがてギターを手にした。フランクが地元ニュージャージーのパンクシーンで地元バンドへの参加を始めたのは11歳のときだった。

Pencey PrepからMy Chemical Romanceへの道

My Chemical Romanceに加入する前、彼はパンクバンド「Pencey Prep」のリードシンガーを務めていた。このバンドはインディーレーベルのEyeball Recordsからアルバム『Heartbreak in Stereo』をリリースしたのち、解散した。その後の動きが、イエロのキャリアを決定づけた。

Pencey Prepで活動中、彼はジェラルド・ウェイをはじめとするMy Chemical Romanceのメンバーと友人になり、彼らのオリジナルデモのファンになった。さらに彼らが最初のショーを開くのを手助けもした。実はMy Chemical Romanceの最初のライブは、Pencey Prepの前座だったのだ。バンド解散後、フランクはI Am a Graveyard、Hybrid、Sector 12、American Nightmareなど複数のバンドを経て、My Chemical Romanceのリズムギタリストのポジションを提案された。

My Chemical Romanceはローカルシーンで最もエキサイティングなバンドのひとつであり、フランクのパンク的影響はギタリスト、レイ・トロのメタル寄りの本能とうまくバランスを取り合った。この化学反応こそが、バンドのサウンドを独自のものに押し上げた要因のひとつと言えるだろう。

My Chemical Romance ブラックパレード アルバムとコンサート

My Chemical Romanceでの軌跡と解散

My Chemical Romanceは2006年10月23日、3枚目のスタジオアルバム『The Black Parade』をリリースした。このアルバムはエモ・ロックシーンにとって歴史的な一枚となり、フランクのギタープレイはその根幹を担った。続く4枚目のアルバム『Danger Days: The True Lives of the Fabulous Killjoys』は2010年11月22日に発売された。

しかし2013年、突然の幕切れが訪れる。バンドは2013年3月22日に解散を発表した。ファンにとっては衝撃的なニュースだったが、フランク・イエロにとってそれは新たな創作の扉が開く瞬間でもあった。

ソロキャリアの始まり——痛みが生んだ音楽

My Chemical Romanceの解散後、イエロは当時深刻だった胃痛の気晴らしとして、自分自身のためにセラピーとして音楽制作を始めた。もともとリリースするつもりのなかったこのソロプロジェクトが、後の『Stomachaches』へと結実した。アーティスト名義は「frnkiero andthe cellabration」だった。

彼はデビューソロスタジオアルバム『Stomachaches』を2014年8月26日にリリースした。Alternative Press、New Noise Magazine、NMEなどから絶賛を受け、Louderは「イエロのマインドへの窓として、これまでに関わったどのメインストリームリリースよりも感情的な作品だ」と評した。誰にも聴かせるつもりのなかった音楽が、世界中のリスナーの心に刺さった。

『Stomachaches』の後、彼は2016年10月に「Frank Iero and the Patience」名義でアルバム『Parachutes』をリリースした。このアルバムのプロモーションのためのオーストラリアツアー中、フランクと彼のバンドメイトでもある義兄弟のエヴァン・ネスター、そしてマネージャーが一命にかかわる交通事故に遭った。それでも彼は音楽を続けた。

Frank Iero and the Future Violents——再起動

2018年12月31日、イエロは新たなソロモニカー「Frank Iero and the Future Violents」を発表した。そして2019年5月31日、この新名義で3枚目のソロスタジオアルバム『Barriers』をリリースした。Loudwireはこのアルバムを「2019年ベストロックアルバム50選」のひとつに選んだ。

2024年8月、イエロはデビューアルバム『Stomachaches』の10周年を記念したデラックス版『XNauseousX』の発表とリリースを行った。10年という歳月を経てもなお、このアルバムがリスナーを惹きつけるという事実は、彼の音楽が持つ普遍的な力を証明している。

フランク・イエロのソロコンサートパフォーマンス

Leathermouthとサイドプロジェクトでのもうひとつの顔

イエロはハードコアパンクの5人組バンド「Leathermouth」のフロントマンを務め、2009年1月にEpitaph Recordsからデビューアルバム『XO』をリリースした。バンドはその後2010年に解散した。このバンドでのイエロは、My Chemical Romanceとはまるで別人のように吠えた。生々しく、暴力的なほどの激情がそこにあった。

また、James Deweesとともに「Death Spells」名義でもアルバムをリリースしている。さらにThe Cureのトリビュートバンド「The Love Cats」にも関わり、Reggie and the Full Effectのフェアウェルツアーではベースを担当した。彼の音楽的好奇心には底がない。

My Chemical Romanceの再結成と現在の活動

2019年10月31日、My Chemical Romanceは再結成を発表し、ロサンゼルスでの12月20日のライブと新たなマーチャンダイズラインを公表した。ツアーはCOVID-19パンデミックにより2022年に延期となり、最終公演は2023年3月26日に日本の大阪で行われた。

バンドは2024年10月のWhen We Were Young Festivalのヘッドライナーとして返り咲いた。その直後の2024年11月にはLong Live The Black Parade Tourを発表した。このツアーは2025年7月11日にワシントン州シアトルで開幕し、同年9月20日に最初のレグが幕を閉じた。

ギタリストとしての機材へのこだわり

フランク・イエロはEpiphone社と共同で「Epiphone Wilshire Phant-o-matic」というエレクトリックギターをデザインした。このギターはEpiphone Wilshireのボディをベースに、Epiphone Les Paulのネックとピックアップを採用している。自らのギターを設計するというのは、彼がいかに音にこだわっているかを示すひとつの証左だ。

My Chemical Romanceの初期、イエロは主にギブソンSGやEpiphone Les Paulギターを使用していた。中でも「パンジー」と名付けられた白いレスポールは特に有名で、ファンの間でも人気が高かった。ただしステージ上で破損してしまった。機材への愛情はアーティストとしての姿勢そのものを物語っている。

人物像——音楽の外側にある素顔

2007年2月5日、イエロは長年の交際相手ジャミア・ネスターと結婚した。プロポーズは『The Black Parade』のレコーディング中だった。2010年9月7日にはチェリーとリリーという双子の女の子が誕生し、2012年4月6日には息子マイルズの誕生も発表した。

彼は幼少期から菜食主義者であり、2008年にはPETAから「世界で最もセクシーなベジタリアン」のひとりに選ばれた。またプロゲイライツの立場を公に表明しており、ツアー中にプロゲイ婚姻を支持するTシャツを着用したほか、自作の「Homophobia is gay」Tシャツはファンの間で人気となっている。

彼は妻のジャミアとともに、インディペンデントレコードレーベル「Skeleton Crew」を共同設立した。アーティストとして発信するだけでなく、他のアーティストを支える場所も作ったのだ。ただし2010年12月7日、家族と音楽活動に集中するため、このレーベルから離脱している。

フランク・イエロ ギター タトゥー ロックミュージシャン

フランク・イエロが残したもの、そしてこれから

フランク・イエロというアーティストを一つの言葉で定義するのは難しい。ロックバンドの縁の下を支えるリズムギタリストであり、ハードコアの咆哮を上げるフロントマンでもあり、痛みを音楽に変えるソロアーティストでもある。その一貫しているのは、「本物であること」だ。

My Chemical Romanceの解散後に始まったソロキャリアは、血の通った歌詞と情熱的なパフォーマンスで定義されており、2014年のFrnkiero & the Cellabration、2016年のFrank Iero & the Patience、そして2019年のFrank Iero & the Future Violentsと名義を変えながら進化し続けている。

My Chemical Romanceの再結成によって彼は再び世界規模のステージに立ち、ソロ活動では自分だけの言語で世界に語りかけ続けている。「新しいアルバムに取り掛かるたびに、私のルールはただひとつ—これまでと違うものにすること。自分を繰り返してはいけない。前に進むだけだ」——彼はそう語っている。そのストイックな姿勢こそが、フランク・イエロを単なる「有名バンドのギタリスト」ではなく、時代を超えたアーティストたらしめている理由だろう。